にっぽん伝設紀行

秋田県にかほ市   象潟公会堂 facebook

かつて地元出身の名士が私財を投じて建て
その用途を街の変遷とともに変えてきた木造建築
一時は存在をもてあまされ「解体」が検討されこともあったが
現在、思わぬ活用のされかたをしているという

張り出した玄関と2階部分が印象的な木造建築

町出身の名士が 私財を投じて建てた 白亜の建物

2階部分から高い天井がすばらしい音響を生むホールを望んで

国道7号線から入った道沿いの住宅街に、ひときわ目立つ真っ白な建物がある。昭和9年に建築された木造2階建てで、外壁は下見板張り、屋根は切妻屋根。正面に張り出した玄関とその2階部分が建物の“顔”となり、昭和初期の近代洋風建築が持つ上品な雰囲気を漂わせている。
この象潟公会堂は同地出身の奥山角三が私財を投じて建築し、象潟町(当時)へ寄贈したものだ。

愛郷の念から公会堂を建てた奥山角三氏

奥山は北海道余市でニシン漁を営んでいた父を頼って北海道へ渡った後、札幌の質屋に勤務した。折しも北海道開拓が軌道に乗り、経済も右肩上がりの時代。質屋の店主が体調を崩した後は奥山が店主に代わり事業を拡大し、やがて一財産を築いた。あわせて札幌区議会議員や札幌商工会議所副会頭などの公職も務め、札幌政財界の重鎮として、現在の北海道電力を含む数多くの会社設立に携わった。
こうして奥山は北海道の名士となったが、その後も愛郷心は忘れず、北海道に渡って50年を機に、当時の象潟町役場の裏手にこの公会堂を建てたという。

だんだんと用途を失い いつしか解体が ささやかれるように

何本もの柱が躯体と天井を支える

役場の裏手に建てられたことから、公会堂は町議会議場としても使われた。昭和30年に象潟町が周辺2村と合併し、新たな“象潟町”が発足すると、町役場は象潟駅近くに移転し、公会堂は象潟町公民館として使われるようになった。昭和30年代から40年代にかけては、婦人会や青年会活動が盛んで、映画の上演会、文化講演会のほか、成人式や結婚式も行われ、地元紙で「社会教育の殿堂」と報じられるほど多くの町民に利用された。
ところが、昭和45年に新たな象潟町公民館が建設されると、以降は地区集会などでたまに使用される程度となり、さらに昭和60年頃には、存在をもてあまされ“倉庫”状態となっていた。一部では解体の話も持ち上がるようになったという。

かつての役割を失った 建物の「音響」に着目し 新たな息を吹き込む

ホールステージには2代目となるグランドピアノが

解体の危機を救ったのは、地元を中心とした音楽愛好者たちであった。かねてより公会堂の音響の良さに注目していた彼らは、町に存続を訴え、町もそれに応えて整備を行った。その一つが、ステージへのピアノの設置だ。当初町ではアップライトピアノを予定していたが、「それでは演奏会ができない、中古でもいいからグランドピアノを」と願う支持者が、グランドピアノ購入の予算をまかなうための募金活動を行い、1カ月後には新品のグランドピアノを町に寄贈したという。
象潟公会堂の音響の良さはプロの音楽家も認めるところ。その響きに惚れ込み、毎年ここで音楽会を行っているピアニストもいるという。おそらく高い天井を持った木造建築であることが功を奏し、音を優しく温かく響かせてくれるのだろう。

「社会教育の殿堂」から 「音楽文化に親しむ殿堂」へ

この建物を篤志で建てた奥山角三も、まさか音楽堂として利用される未来を予想しなかったのではないか。現在は2代目となるグランドピアノが堂々と鎮座し、定期的に音楽会が催されている。そのおかげか、住民たちは、日常的に音楽に親しむ人が多いという。かつての「社会教育の殿堂」は、さまざまな変遷を経て、では「音楽文化に親しむ殿堂」として新しい役割を担うようになった。
今後も町に根ざしつつ、ひょっとしたらまた新しい“顔”を得る日が来るのかもしれない。

さあ「伝設」をその目で見よう!

象潟公会堂

●住  所/秋田県にかほ市象潟町字三丁目塩越163
●開館時間/9:00~21:00 利用時のみ開館(普段は無人)
●利 用 料/大ホール(ステージ含む)300円/時間
会議室100円/時間
2階会議室(和室)200円/時間
●TEL/0184-43-2229 象潟公民館
●利用状況/建物の雰囲気と相まって好評を得ている
      郷里の木版画家である池田修三氏の
      作品展が毎年行われている。

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