にっぽん伝設紀行

山形県鶴岡市 大寶館 facebook

鶴岡市の中心部に位置する鶴岡公園内に赤い尖塔屋根が印象的な白亜の洋館が建つ

築100余年を数えるというこの建物がその長い時間をいかに見つめてきたのか

今に至る歴史をたどりつつ思いを馳せてみよう

大正天皇の即位を記念して建てられた、赤いドームと白壁が特徴の洋風建築物

「見よう見真似」が生んだ独自性と新しい美しさ

ときは明治時代。文明開化のあおりを受け、それまで日本の木造建築を手掛けていた棟梁たちが「見よう見真似で作った“西洋風建築”」が、全国各地に出現した。その意匠には図らずも生まれた独自性が宿り、その一つひとつが日本のものづくり精神を今に伝える精緻さと、新たな技術を取り入れ進化させる創意をたたえていた。そして時代は大正へと移り、建築技術も円熟期を迎える。
鶴岡公園内に建つこの洋館も、そんな「擬洋式建築の円熟期」に造られたもののひとつだ。

大正天皇の即位を記念し創建された建物

「大宝館」は大正4年(1915年)に大正天皇の即位を記念して創建され、11月10日の天皇即位の日に開館した。「大宝館」の名は、中国の易経にある「天地の大徳を生という。聖人の大宝を位という」に由来する。設計は地元の棟梁であった小林昌徳。木造2階建て、入母屋、瓦葺きの建物で、外壁が下見板貼り、ペンキ仕上げ、縦長の上げ下げ窓を採用するなど洋風の要素を取り入れている。正面玄関廻りは平面的に前に突き出して正面性を強調し、その上部は曲線屋根、金属板葺きで朱色に塗るという大屋根とは全くの正反対の要素で構成。曲線屋根の下には妻面を正面にした小さな屋根が3つに分散していて、大味な意匠にならない様な工夫も見せる。

時代の変遷とともに役割を変えながら町に寄り添う

手すりや意匠も当時のままに遺された、重厚感たっぷりの階段

開館当時から戦前にかけては、主に物産陳列場として使われた。そこには絹織物や染物、漆器、絵ろうそくといった伝統工芸品のほか、履物や漁具、杓子などの日用品、菓子や漬物など加工食品まで数十種が出品され、実際に販売も行っていたという。売上は町で一元管理し、一定の手数料をとった上で出品者に還元するという仕組みは、いわゆる現在の産地直売所のようなものだったのだろうか。
昭和20年(1945年)太平洋戦争時には印象的な白壁を「空襲の目標物にならないように」とコールタールで黒く塗りこめたこともあったという。しかしさほど時を置かず昭和24年(1949年)には市民の要望をうけ元の姿に復元された。こうしたエピソードに「我らの大宝館はかくあるべし」という周辺住人の誇りと愛着がうかがえる。

保存修理を施され現在は人物資料館に

全面的な保存修理を行った後、現在は鶴岡ゆかりの人物資料展示施設として一般公開している

昭和26年(1951年)から昭和60年(1985年)までは、市立図書館として地域の多くの人々に親しまれたが、のちに図書館が新築移転されるのに伴い、全面的な保存修理を実施。昭和63年(1988年)4月からは、郷土の先人・先覚といわれる人々の業績を紹介する鶴岡ゆかりの人物資料展示施設として一般公開している。
とりわけ明治の文豪・高山樗牛の生家を一部館内に移築しているのは「建物の中にある建物」という意味でも興味深い。

未来へ向けてまたさらなる時間を重ねていく

平成27年(2015年)には「創設100年」を記念し、市民が所有する大宝館の古い写真を集めての写真展が実施された。時代時代でさまざまな役割を果たしながら、鶴岡のシンボルとして親しまれてきた大宝館。はたして次の創設200年を迎える頃には、この建物がどんな役割を持ち、そして町はどんな様相を見せているのだろうか。建物に刻まれた悠久のときを想ううち、ふとそんな未来がよぎった。

さあ「伝設」をその目で見よう!

大宝館

●住  所/山形県鶴岡市馬場町4-7
(鶴岡公園内)
●T E L/0235-24-3266
●営業時間/9:00〜16:30
●休 館 日/毎週水曜日(祝日の場合は翌日)
      12月29日~1月3日
●入 館 料/無料

https://www.chido.jp/taihokan/

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