にっぽん伝設紀行

岩手県盛岡市 もりおか町家物語館 facebook

かつて町家街としてにぎわいを見せた盛岡市の鉈屋町(なたやちょう)には
古き良き趣きをにじませる「盛岡町家」が数多く残されている。
「もりおか町家物語館」は、そんな歴史的建造物のひとつを
リノベーションして生まれた施設だ。
その裏には保存に向けて奔走した人々の努力と熱意があったという。

古き良き町並みが 今なお残る かつての「玄関口」

藩政時代、南部藩の南の玄関口として栄えた盛岡市鉈屋町。ここにはかつて多くの商人たちが暮らした古い町家が今なお残っている。「町家」とは江戸から明治にかけて建てられた、商住一体型住宅のこと。京都のものがよく知られるが、盛岡の町家は柱立ての下屋付、道路と並行に屋根の棟を持つ平入り(ひらいり)、母屋の「見世( みせ)」に中の間「常居(じょい)」がつながる構造の特徴などから「盛岡町屋」として、他エリアのそれと区別している。

岩手を代表する 老舗酒造メーカーの 歴史が終わるとき

そんな盛岡町家のひとつに、酒造メーカー「岩手川」の工場があった。もともと盛岡は南部杜氏の技術を受け継ぐ、酒造りの盛んな土地柄。同社は明治5年より続く老舗であり、その建物の一部は、江戸時代末期に建てられた大型土蔵建築遺構としての貴重さから 「浜藤の酒蔵」(※「浜藤」は創業当時の屋号)の名で、市から指定保存建築物にされていた。
堅牢な工法を採用した土造2階建てで、小屋梁には曲がり梁を使用。花崗岩の礎石に建つケヤキの八角柱が構造を支える。窓の内側には紙貼り障子、外に板戸の引戸。外壁は黒漆喰仕上げで、平鉄の格子を備えた土蔵式扉を構える。桟瓦葺きの切妻屋根をいただいた、堂々たる建物だ。
しかし日本酒離れが進む中、経営不振にあえいだ同社は2006年に自己破産申告。134年という長い歴史に幕を閉じることとなる。その3年後の2009年には、北東北でスーパーマーケットを展開する「株式会社ユニバース」が土地・建物を取得したことがアナウンスされた。

 

「町家を残す」 有志たちの思いがここに結実

一方、盛岡町家の風景が、近代化により消えていってしまうことを重く見ていた人たちがいた。そのひとつが有志団体「盛岡まち並み塾」(2017年にNPO法人化)だ。同団体は2003年に結成以来、盛岡町家の保存活動や、町並みを生かしたイベントや文化の発信に尽力してきた。そして市もまた、こうした民間の動きに呼応し、2005年には市民協働事業として「盛岡市ブランド推進計画『まちなみ景観づくり』プロジェクト」 をスタートさせる。「岩手川」の廃業と土地建物の売却は、そんな矢先のできごとであった。
「このままでは取り壊しもやむなし」。そんな絶望的なムードが漂い始めた中、2009年10月㈱ユニバースが「浜藤の酒蔵」を含む土地建物の一部を、市へ寄贈することを決定した。同社はそもそもの出店計画が、市が施行する「鉈屋町歴史的建造物等活用事業」との共同事業であった経緯を重視し「地域の活性化に寄与すべき」との判断に至ったという。こうして沈鬱なムードは一変。「浜藤の酒蔵」を含むかつての岩手川工場は、当時の設えと趣きを生かしながら大規模改修されることとなった。

 

盛岡町家が 文化発信の拠点として 新たに再生

そしてリノベーションを経たかつての酒蔵は2014年、「もりおか町家物語館」として生まれ変わった。そのコンセプトは「懐かしの賑わいに出会う」。現在は憩いの場、地域の案内所として、また鉈屋町界隈地域の生活文化を保存し発信する拠点として運用されている。構成としては母屋・文庫蔵・浜藤の酒蔵・大正蔵の4棟のほかに、下屋(げや)と呼ばれる浜藤の酒蔵と大正蔵に挟まれた路地空間、屋外ステージを備えた多目的広場、という6つのエリアに分けられ、それぞれの特徴を最大限に生かした展示や販売、各種イベントなどを行っている。
これは有志たちの熱意が実った、幸せな一例だ。しかしその一方で、老朽化や都市計画上の都合、そして所有者の経済的な問題により、やむなく取り壊されてしまうケースがあるのも事実。すべてを残すことは不可能だとしても、保存へ向けて最大限の努力をする。こうした人々の思いが、町の歴史を未来へと伝える一助となっていくのだろう。

 

 

 


もりおか町家物語館

●住  所/岩手県盛岡市鉈屋町10-8
●T E L/019-654-2911
●営業時間/9:00~19:00
●休 館 日/第4火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
○アクセス/盛岡ICから車で20分、JR盛岡駅から15分
http://machiya.iwate-arts.jp/

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