にっぽん伝設紀行

秋田県秋田市 旧大島商会 facebook

「残したいという強い気持ちはあるが……」
明治期に建てられたレンガ造りの建築物が今、危機に見舞われている。
「建物存続を」との声も多いがなかなか簡単にはいかない様子だ。

明治時代の「百貨店」が今なお面影残す

ほぼ真四角という印象的な形を持つ、レンガ造りの小ぶりな建物。秋田県大町の繁華街を寺町方面に向かって進むと見えてくるのが、この「旧大島商会」だ。1901(明治34)年、秋田県で最初の百貨店として建てられ、現存するレンガ造建築では秋田市内でも最古のもの。当時はここで衣料品や高級雑貨、帽子、自転車などの流行品が販売され、繁盛していたようだ。しかし、昭和に入り経営が悪化し閉店。その後、昭和12年に市内で菓子店を営む塚本幸三郎氏が土地と建物を購入し、現在は孫の清氏が所有している。
正面の幅が9m、奥行き7mの総2階。アーチ状の正面入口や柱、基礎、建物の四隅は男鹿石が使われ、側面の壁から浮き出して見える3本の控え柱が堅牢さを物語る。正面と東側面の壁は補修により塗られているが、店舗の裏側には当時のレンガがそのまま残り、100年以上の月日を感じさせる。災害にも強く、「県内では最高級のレンガ建造物」とも謳われている。

文化的価値が認められ国の文化財に

塚本家が所有して以来、貸店舗としてさまざまな店舗に貸し出されてきた。ときに喫茶店やラーメン店、ゲームセンターなどに姿を変えたこともあったようだが、平成6年より生花店「花京都」がテナントとして入ってからは、〝レンガ造りの花屋〟として定着している。テナントが入る都度改装が行われ、それに伴い建物の西側にあった蔵と小屋も取り壊された。かつてはそこに店舗2階へ入る階段があったらしいが、現在では入ることが出来なくなっている。
その文化的価値が認められ、平成12年には国の登録有形文化財に指定。しかし誰が設計したかについて、今では不明だ。地元の専門家いわく「伝統的な西洋建築のどの様式にも当てはまらない。また設計者は構造計算ができなかったらしく、必要以上に丈夫に作ってある。極端に柱が多かったり壁が厚かったりする箇所があるのがその証拠」と説明する。

建物裏側のレンガは、塗替えずに建設当時のまま。くすんだ色が年月を感じさせる。

「町のシンボル」が今、直面する存続の危機

大島商会が扱う商品には、当時最先端の乗り物であった自転車も。明治35年には同社の主催により県内初の本格的ロードレース「自転車百哩(マイル)大競争」も開催された。

しかし建物は今、解体の危機にさらされている。目前を横切る「横町通り」の拡幅が決まったからだ。当該の道路は秋田市都心部の交通渋滞を緩和させる「都心環状道路」の一部として位置づけられているが、全幅員が7.8m~8.8mと狭いこともあり、一方通行規制がなされていたり、歩道がなく荷降ろしのための停車が常態化。これを解消するための拡幅工事で、現在は区画となる川尻広面線・横町工区の用地補償が進められている。
建物の所有者である塚本氏は、この話が持ち上がってからというもの、ずっと頭を悩ませている。「建物は〝曳家(ひきや)〟という方法で、後ろに下げれば、そのまま残すことができる。しかしそのためには大変な費用がかかります」。実は、塚本氏自身が営む菓子店「高砂堂」の建物も、平成7年に道路拡幅で取り壊される危機に見舞われた。が、大正期の建造である趣きある木造建築を惜しむ市民の声により、曳家を実施したという経緯がある。しかし莫大な工事費により、補償金はすべて吹き飛んでしまったそうだ。費用のことだけではない。木造ですら大変大掛かりな工事となった。果たしてレンガ造りの重い建物で、それが実現可能なのだろうか。不安は尽きない。
いまや通りの、そして町のシンボルとなった建物。その行方を市民が、そしてこの建物を愛する人たちが見守っている。


 

旧大島商会

(現在は「花京都」という生花店がテナントとして入っている)
●住  所/秋田県秋田市大町6-5-7

※写真撮影などは営業に支障のないよう配慮が必要

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