「岩手銀行旧本店本館」は、平成8年当時では「現役」の重要文化財として、全国で初めて定められた建造物である。そこには、昭和初期の盛岡を生き生きと感じさせるさまざまなエピソードが息づいていた。今回はその歴史を紐解いていこう。
この建物に見られる「赤レンガに白い横縞、緑色のリブの独特なドーム」という様式は、東京駅に代表される「辰野式ルネサンス」の典型だ。内部には木製飾柱を用い、天井に漆喰レリーフを施すなど豪華な内装は、明治期の銀行建築の姿を良く示している。外壁の胴蛇腹と窓台、窓のアーチ部とまぐさ?部に白色花崗岩でバンドや彫刻飾りを華やかに施し、横線を強調。スレート屋根には銅板レリーフを施し、凸凹の多い平面計画で建物に陰影をつけている。構造的にはレンガ組積の外壁が独立し、木造の横架材で上部床を支え、木造小屋組が外壁の上に乗った2階建て(一部3階建て)だ。
1・2階吹き抜けの営業室を中心に、2階各室が営業室を見下ろす吹き抜けに面した廻廊で結ばれ、営業室上部を支える木製飾柱のコリント様式柱頭、天井漆喰レリーフ、各室入口枠の彫刻などがクラシカルな雰囲気を生み出している。一方、各所で灯数の異なる照明器具などにはヨーロッパ近代デザインを採用し、当時の流行も取り入れていた。ちなみに辰野が手がけた建築で東北に残る唯一の作品でもあり、その意味でも見るべき部分は数多い。
多くの歴史的建築が、当初の用途とは別の資料館や記念館などになる中、この「岩手銀行旧本店本館」は、つい先日まで、竣工当時と同様「銀行」として使用されていた点でもユニークだ。元々盛岡銀行は、盛岡の実業家が興したものであったが、1931年(昭和6年)の岩手県金融恐慌で破綻。この救済として岩手県の主導で岩手殖産銀行(現在の岩手銀行の前身)が設立され、継承されることとなった。その5年後である1936年(昭和11年)より、建物は「岩手殖産銀行本店本館」として、また1984年(昭和59年)に岩手銀行本店新社屋が完成した後は「岩手銀行中ノ橋支店」として使用された。建物での業務が終了したのは、つい3年前の平成24年8月。実に100年以上もの間「銀行」として機能し続けたことになる。
実は建物の所有者が盛岡銀行から岩手銀行に移った最初期、赤い化粧煉瓦の外壁を白モルタルで覆っていた期間がある。その理由として、一説には「赤レンガの外観が【赤字】を連想させるため、イメージを一新すべき」との声があったからと言われている。しかし過去の写真を見る限り、昭和35年の時点ではすでに赤レンガに戻されていたようだ。やはり、あの「辰野建築」の象徴とも言える赤レンガを上に白く塗り込めることに、気がとがめる者が多かったのだろうか。白モルタルは、当時の行員らが塩酸を使い、手作業でコツコツと落としたと言われている。歴史的・美術的な価値を持つ建造物として。岩手経済の要所として長きに渡り活用されてきた場所として。そして近代盛岡が迎えた大きな時代の波。「岩手銀行旧本店本館」はこの先もずっと、盛岡の町の象徴であり続けるのだろう。