にっぽん伝設紀行

宮城県名取市 尚絅学院大学「エラ・オー・パトリックホーム」 facebook

瓦屋根をいただく白い壁に緑の扉。
尚絅学院大学のキャンパスには、訪れた人の目を引く小さな洋館が建つ。この建物が竣工し、そして現在に至るまでにはさまざまな人々の想いと働きがあったのだ。今回はその興味深いストーリーを追ってみよう。

「日本の女性に学問を」エラの意志を引き継ぐシンボルとして

名取市の高台に位置する、尚絅学院大学名取キャンパス。その敷地内に建つ瀟洒な洋館が「エラ・オー・パトリックホーム」だ。この建物が竣工した当時は、日本の設計士や職人らが洋風建築を見真似て建てた「擬洋風建築」が日本全国に登場した時代だ。しかしエラ・オー・パトリックホームは外国人設計士の手による、本格的な洋風建築の構造を持つ建物であった。であるにもかかわらず、建築に携わった日本人の職人たちの技が発揮されることで、結果「和洋折衷」な佇まいを持ったことが、なんとも興味深い。

建物の名は、アメリカ人女性であるエラ・オー・パトリックから命名されたものだ。彼女は裕福な家庭に生まれながらも、幼少の頃より脊髄近くに腫瘍を患い、生涯のほとんどを激しい苦痛と共に病床で過ごした。そうした苦境の中にあっても、彼女はキリスト教の活動に力を注ぎ、特に日本の女子教育に大きな関心を抱いていた。こうしてエラは世界伝道の夢を追い続けていたが、46歳でその生涯を閉じることとなる。そして道半ばで逝った娘のためにと、エラの父親が尚絅学院の母体となった尚絅女学会の校舎建設費用を寄附。女学会創立の中心であった女性宣教師ラヴィニア・ミードや、その後正式に女学校となった当時の校長アニイ・ブゼルらは、感謝とともにエラの徳を讃えるために、その建物に彼女の名前をつけたのである。

西洋的な構造に自然とにじむ日本の美意識

木造2階建ての洋風建築は、個性的なデザインのベランダを持ち、外壁は下見板張りを採用。その屋根には折り尺形の装飾が施されている。廊下を挟んで均等に並ぶ、正方形の部屋。その東側には ベランダを設置した。夏には引き戸を収納し開放的なバルコニーとして使用していたそうだ。

また各部屋の天井には高さ27・5cm、幅24cmの装飾を施した天然木廻り縁を配置。天井の角を取ることで重厚な中にも柔らかさを感じさせる構造となっている。一方、日本人の職人らしい伝統的な装飾もあちこちにのぞく。玄関ポーチ屋根のコーチス下にある子壁には雷門を、また子壁の支えに唐草彫りの持ち送り※が。さらにバルコニーの軒に彫られた雲形状レリーフは仏寺の意匠を思わせる。

 

中島丁からゆりが丘へかつての姿を損なわぬように復元

エラ・オー・パトリックホームは、1896年の竣工以来幾度とない補修や増築を経て、実に112年もの長い間風雪に耐えてきた。しかし老朽化に伴う建物の傷みが著しく、これ以上の修繕を行うことは限界と判断。惜しまれながらも2008年8月に解体されることが決まった。
しかし1996年には「仙台景観賞」にも選ばれ、学校関係者のみならず市民からも親しまれていた象徴的な建物。その姿が失われることを、惜しむ声は多かった。そこで解体と並行して進められたのが「名取キャンパスへの復元移築計画」である。解体を進める中で、再利用できる部材は保存。

利用できない部分も、資料的価値が認められた部材は保存管理された。新設部分に関しても、可能な限り建築当時の形にこだわった。こうして2年という時間をかけ、2010年に現在大学が建つ名取市ゆりが丘に移築・復元されたのであった。尚絅学院の、そして「学都・仙台」のスピリットを表すシンボルとして蘇ったエラ・オー・パトリックホーム。19世紀に竣工された当時の姿を取り戻した建物が今、21世紀の学生たちへ、そして未来へと想いを繋いでいくのだろう。

※持ち送り:上に張り出した重量を支持するための、壁から突き出した石などの構造物。装飾として用いられる。

 

 


エラ・オー・パトリックホーム(尚絅学院大学内)

●住  所/宮城県名取市ゆりが丘4-10-1
●交  通/JR南仙台駅から尚絅学院大前行きバスで15分
※公開日の設定あり。詳細は尚絅学院大学にお問い合わせください。
TEL.022-381-3300

ページトップへ