にっぽん伝設紀行

福島県伊達市保原町 旧亀岡家住宅 facebook

かつて養蚕で栄えた町に、さる豪農が建てた「洋館」。その豪奢さに驚き、感じ入る一方「おや」と首をひねらずにはいられない「不思議な点」がある。果たして、そこに意図されたものは――

明治の擬洋風建築にあって、ひときわ「特異」な建物

印象的な八角形の展望室。とんがり屋根の上では、風見鶏がくるくると風向きを知らせて回る。塗装した壁にはふんだんにガラス窓を設け、いかにもモダンな佇まいだ。しかし一歩足を踏み入れると、そこにはつい今しがた見た「洋館」の趣きは影形もない。そこにしんとした静謐を漂わせるのは、贅を尽くした純和風のしつらえだ。明治時代に日本の職人たちが、西洋の建物を見真似て建てた「擬洋風建築」の中でも、この徹底した外観と内装の落差は、ときに「ちぐはぐ」「アンバランス」と評されるほど極端なものだ。なぜ、施主はこのような意匠を目指したのだろうか。残念ながら理由を記す文献は、見当たらない。施主の名は亀岡正元。かつて養蚕が盛んであった伊達郡で、蚕を品種改良し、その卵を養蚕農家に売る「蚕種製造業」で一財産を成した豪農だ。正元は同時に伊達郡会議員や県会議員を務め、明治の豪農が皆そうであったように、地方行政を担う立場にもあった。明治30年頃伊達郡伊達崎村(現・桑折町伊達崎)に建てられた旧亀岡住宅は、正元の邸宅だった。この「擬洋風」な建築物は当時、役所や官舎にこそ積極的に採用されたものの、農村の家屋には類を見ないものであったという。

 

尽くした贅に感じ入りその遊び心に引き込まれる

洋風な外観もさることながら、特に目を見張るのは、その気品あふれる内部建築だ。書院造りの伝統的な意匠を踏襲しつつ、材や装飾にはこの上なく贅が尽くされている。「唐木三大銘木」といわれる紫檀や鉄刀木(たがやさん)、木目の美しい黒柿やケヤキ。さらに希少な「阿武隈川の埋れ木」までをも用いた。数千年の時間をかけ川底で熟成されたこの埋れ木は、古より多くの詩歌に詠まれ、時には公家衆や大名家などへの献上品ともなった逸材だ。さらに天井も見応えのあるものとなっている。玄関から見て最初の広間には、杉の節目を小判に見立てた「銭降らしの天井」が。またそれぞれの座敷や居間には、周囲を一段持ち上げるようにした「折上格天井」が、目を楽しませてくれる。

一方、材の傷みやウロを活かしてほどこした鶴や亀、ネズミの彫刻は、気づいた瞬間つい笑みがこぼれる、あどけない仕掛けだ。「亀」にいたっては館内に計10匹も隠れているそうで、ついつい宝探し気分で、「次の一匹探し」に夢中になってしまう。純和風の内装にあって、唯一「西洋」を感じさせるのが、書斎と二階へ続く長いらせん階段。ケヤキの自然な湾曲そのままに、ゆったりとしたカーブを描く様は、まさに優美というにふさわしい。手すりを飾るのは、こけし職人が手作りしたという丸い彫刻。これが階段の曲線美をより際立たせる、フォーカルポイント(視線を集める点)となっている。

今なお色褪せずに人の目を楽しませるその粋と遊び心

以下憶測でしかないが、この正元という人物。非常にサービス精神と稚気にあふれる者だったのではないだろうか。その立場上、人を招く機会が多かったであろうことは、想像に難くない。客人を「はっ」と驚かせ、思わずニヤリとさせる。そして「ほう」と感心させた後に、感嘆のため息をつかせる。そんな企みを実現すべく、「ちぐはぐ」なほど極端に、外観と内装を異にしたことも、こう考えれば自然と腑に落ちるのだ。現在この旧亀岡家住宅は、伊達市保原町へと移築され、一般公開中だ。これも正元の「企み」の一つであろうか。100年の時を経た今もなお、訪れた人に新鮮な驚きと楽しみを与え続けているのだから。

 


旧亀岡家住宅
(きゅうかめおかけじゅうたく)

●住  所/福島県伊達市保原町大泉字宮脇265(保原総合公園内)
●交  通/
公共交通:阿武隈急行大泉駅下車徒歩7分
車:東北自動車道福島飯坂ICから車で約20分
●開館時間/9:00~17:00(最終入館は16:30)
●料  金/大人 210円、小中学生 100円
●休館日/火曜日(祝日の場合はその翌日)年末年始(12/28~1/4)
●詳しいお問い合わせは/保原歴史文化資料館TEL.024-575-1615

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