にっぽん伝設紀行

秋田県鹿角郡小坂町 康楽館 facebook

明治中期、鉱山の町として栄えた秋田県小坂町。そこには鉱夫たちを癒し楽しませる芝居小屋があった。驚くのはこの舞台で、今なお恒常的に上演が行われていることだ。その存続の影には、町が歩んできた歴史と人々の想いがあった。

主要鉱山の隆盛を支える働き手の憩いとなる娯楽を

ときは明治時代。「文明開化」の高らかな声とともに、日本にも西洋文化の波が押し寄せていた。『康楽館』もまた、その近代化の息吹の中に生まれた遺構の一つだ。「小坂鉱山」は当時、活況の最中にあった。黒鉱の自溶製錬法の開発、そして国内初の露天掘り方式採用という両翼により、瞬く間に主要鉱山としての地位を確立。それを受け、明治38年(1905)には、巨費を投じ「旧小坂鉱山事務所」が設立された。当然ながら、仕事を求めて多くの人々がこの地へと押し寄せる。

それらを受け止める器として、住居や医療施設、銀行、交通網といったインフラもまた、ことごとく整えられていった。山間の地に、まさにこつ然と「都市」が現れたのだ。康楽館は、小坂鉱山で働く鉱夫の憩いを目的として建設された芝居小屋だ。福利厚生という概念がまだ一般的ではなかった時代の、いわば「厚生施設」であった。明治43年(1910)8月16日には大阪歌舞伎の尾上松鶴一座によるこけら落としが行われ、そのスタートを華々しく切ったのだった。

今様の外見に抱かれたあたたかな伝統の技

外観には、当時の最先端である西洋建築の手法をふんだんに取り入れている。正面は下見板張りの白塗りに。上げ下げ式窓と鋸歯状の軒飾りを規則正しく並べ、内部天井には中央にチューリップ型電灯と八角形の枠組みを。華やかさの中に繊細さが潜む、端正な仕事ぶりが光る。一方、舞台装置は、江戸時代の典型的な芝居小屋の形を踏襲した。いわば和洋折衷の構造だ。役者を舞台へせり上げる切穴(すっぽん)や、直径9.73mの回り舞台のスムーズな動きは、精巧な伝統技術の賜物だろう。

当時の技術の粋を集めた、西洋風の瀟洒な建物。その中に鎮座するのは、懐かしい面持ちの舞台装置だ。まるで隆盛の中、都市としての仕組みを備えていった当時の町と、そこに暮らす素朴であたたかな人たちを、体現しているかのようである。

「史跡」としてでなく「生きた舞台」をもう一度

しかし昭和中期になると、建物の老朽化とカラーテレビの普及によって、娯楽の主軸は「舞台」から「家庭」へ移ってゆく。高度成長期時代の趨勢を受け、昭和45年(1970)を最後に、一般の興行も一時中止されてしまった。それを良しとしなかったのが町の人々だ。躯体に刻む、人々の活気と華やぎ。それらを失うことは、町の歴史そのものを失うことと同義ではないか―。その熱意が、昭和61年(1986)、現役の芝居小屋として見事に蘇らせたのだった。現在は国重要文化財にも指定。だが今なお「常打芝居」や人気役者による「歌舞伎大芝居」が演じられている。町の隆盛ともに生まれ、町とともに歩み続ける。この舞台小屋は、「古きものを伝え継ぐ」ということ以上の意味と想いを担っている。この先もきっと「史跡」ではなく「生きた芝居小屋」として、町の人たちに愛され続けてゆくのだろう。


康楽館
●住  所/秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字松ノ下2
●交  通/東北自動車道 小坂I.Cから車で約3分(2.6km)
●時  間/9:00~17:00
●常打芝居と施設見学/大人2,000円、小人(小・中学生)1,000円
(特別席+400円)
●詳しいお問い合わせは/TEL.0186-29-3732|FAX.0186-29-3219
ホームページ http://kosaka-mco.com/

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