にっぽん伝設紀行

宮城県伊具郡丸森町 蔵の郷土館 齋理屋敷 facebook

丸森の町とともに歩んできた豪商の町屋建築。広い敷地内に残る意匠をこらした、たくさんの蔵と邸宅が四季折々趣を変え、かつての栄華を醸し出す。悠久の時を経た重厚な佇まいが歴史を物語る。緩やかな時間が流れ懐かしい昔に出逢う場所。

江戸から昭和まで繁栄した豪商、齋藤理助の遺構

宮城県の南に位置する丸森町の中心商店街にある齋理屋敷は江戸時代から昭和初期まで七代続いた豪商の町屋建築だ。齋藤家の歴代当主が齋藤理助を名乗ったことから齋理と呼ばれている。齋理が事業を始めたのは文化元年(1804年)。呉服太物商を皮切りに養蚕へと事業を広め、生糸の相場で財を成した。明治以後は味噌・醤油の醸造販売や金融業を展開するほか、縫製工場や発電所、小学校の建設など地域の復興にも力を注いでいた。第二次大戦後に店を閉じ、昭和61年(1986年)齋藤家七代目当主は、丸森町に蔵や屋敷、収蔵品を寄贈。6535平方メートルの敷地に立ち並ぶ6つの蔵と、石風呂などの6つの建築物・工作物合わせて12の建造物が国の登録有形文化財に登録されている。齋理屋敷の往事の居宅や蔵の配置は、宮城県内で見られる豪商建築造りの典型で、当時の繁栄ぶりがよく解る。正面に2階建て土蔵造り切妻平入り瓦葺の店蔵があり、脇に棟門、切妻妻入りの土蔵が続く。

細部にこだわりが伺える意匠をこらした蔵の数々

店蔵(みせぐら)は、嘉永元年(1848年)に造られた齋理では最も古い蔵で、使われている木材は頑丈で、特に屋根裏の梁は曲げものの特大の木材を使っている。その店蔵の南方に位置し、通りに東妻を見せる嫁の蔵(よめごのくら)は、明治36年(1903年)に建てられたもの。土蔵造二階建、置屋根形式の切妻造妻入銅板葺、桁行七・二メートル梁間四・五メートル。漆喰仕上げの外壁、黒漆喰仕上げの鉢巻や開口部まわり、海鼠壁の腰となっており、棟が高く、店蔵と一連で重厚な表構えをなしている。店蔵の西に庭を介して建つ住の蔵(すまいのくら)は、明治初期に建築。材料を吟味した齋理で最も立派な造りの蔵で、かつては「宝蔵」「刀蔵」と呼ばれていた。入口の欅柾目の格子戸や、欄間の透かし彫など、細かい部分まで手の込んだ造りとなっている。こちらも土蔵造二階建、置屋根形式の切妻造妻入鉄板葺で、桁行八・四メートル梁間四・八メートルとなっている。主屋に向う東妻一階に出入口、二階に開口を穿ち、両開扉を吊っている。また、柱の間隔が狭く杉材と栗材を一本おきに使用し、大変丈夫な構造になっている。

住の蔵の南西、小路を挟んで建つ、時の蔵(ときのくら)は、嫁の蔵同様、材料などを吟味しており、洋小屋を組み、庇の持送りに彫刻を施すなど凝ったつくりになっている。扉の錠前に家紋入りの高砂の彫刻がなされ、差し鍵が二つ必要となる特殊な仕掛けで、大正時代の一時期、銀行として使われたこともある。他にも、貫や柱など軸部を現す特徴的な外観の業の蔵(なりわいのくら)や小規模ながら凛とした外観をなす童の蔵(わらべのくら)、など、敷地内部の様々な蔵や屋敷は、齋藤家の経済力や繁栄だけでなく、かつて流れていた緩やかな時間を感じ取ることができる。

当時の生活様式を垣間みる

日本建築の歩みを物語る蔵と屋敷、豪商の暮しぶりが伺える豪華な調度品や、当時の衣類に美術品、商売の道具など膨大な収蔵品の数々は、昭和63年(1988年)から、蔵の郷土館として一般公開され、四季折々趣のある風情を楽しむことができる。屋敷内を利用した、大正ロマン風の喫茶店をはじめ、紙漉き体験や陶芸教室のほか、三大企画展「端午の節句」「齋理の歳迎え」「齋理の雛まつり」など、一年中さまざまな特別企画展が開催されている。8月に行われる「齋理幻夜」は、約千基もの灯篭の幻想的な灯が齋理屋敷とその周辺の通り一体を柔らかく照らし、郷愁をさそう。古き良き日本の文化にふれることができる齋理屋敷で悠久の時に思いを馳せてみてはいかがだろう。


蔵の郷土館 齋理屋敷

●住 所/宮城県伊具郡丸森町町西25
●交 通/阿武隈急行丸森駅よりバス又はタクシーで5分
東北自動車道白石ICより30分
●時 間/9:30~17:00(季節時間あり)
●入館料/大人600円・小人300円(団体割引あり)
●休館日/毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
●詳しいお問い合わせは/TEL.0224-72-6636

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