にっぽん伝設紀行

岩手県盛岡市 岩手大学農学部附属 農業教育資料館 facebook

南部富士といわれる秀峰岩手山を望む緑に囲まれた
広大な自然公園を思わせる岩手大学のキャンパス内に、
クリーム色の鮮やかな洋風建築がたたずむ。
宮沢賢治ゆかりのこの建築物は、
大正から昭和の日本の農業振興への礎としてその姿を残す…。

大正元年に建てられた貴重な建物は当時のままで校長室や大講堂などを復元

岩手大学の南に位置する農学部キャンパス内。西洋のトウヒ・モミなどの木々の森をコンセプトにしている樹木郡の中に岩手大学農学部附属農業教育資料館はある。この資料館は、明治期に設置された国立の専門学校の中心施設のうち、現存する数少ない遺構のひとつで改造が少なく、保存状態も良好であったことから、平成6年(1994年)には国の重要文化財の指定を受け、大規模改修の後、現在にいたっている。農業教育資料館の建物は、明治35年(1902年)に日本で最初の高等農林学校として設置された盛岡高等農林学校(現 岩手大学農学部の前身)の本館として、大正元年(1912年)に建てられたもの。工事の設計管理は文部省の営繕技手であった谷口鼎(たにぐちかなえ)が担当した。木造2階建で正面は32・8m、奥行きは14・6m。建築面積は500・82㎡、外壁は下見板張り(注1)で屋根はスレート葺きの寄棟造。内部は小屋組トラス(注2)となっている。外観は鮮やかなクリーム色の外壁で細長い窓を持つ洋風建築は見る人の心を惹きつける。青森ヒバを用いた明治後期を代表する木造2階建てのこの建物は、正面中央に玄関を配し、一階には校長室、事務室、会議室を設け、2階は大講堂として、学校の諸行事などに使われていた。

昭和24年の学制改革による岩手大学発足後は、大学の本部として使用されていた。昭和49年に本部が現在地に移転してからは、老朽化が激しくなったこともあり、一時は取り壊しという話も出たが、歴史的建造物の修復保存の声が上がり、同窓会の寄付などにより修復され、昭和53年(1978年)に設置当初からの農業教育や研究に関する資料を展示公開する農業教育資料館として再活用されるようになった。

建物内部の校長室や大講堂も当時の姿を復元し、シャンデリアなども当時のままで大正時代の雰囲気が部屋全体に漂う。隣接する盛岡高等農林学校の門番所と旧正門も歴史あるもので、明治35年(1902年)の建築と推定される。建築様式は「寄せ棟風八角」で、明治期の「門番所」の作りを伝える価値のある建物。旧正門は、石積みの門柱と平城のような土塁からできた趣のある門で、明治期のままの姿をとどめている。

モニュメントが見つめる宮沢賢治ゆかりの学校

農業教育資料館(盛岡高等農林学校)は、詩や童話、教育、農業、科学と多彩な活動を繰り広げたあの宮沢賢治が大正4年から9年間、在籍したことでも知られている。宮沢賢治は、人をひきつける独自の笑顔のまじめな学生で、成績もよかった。賢治自身も日々出入りしたであろう資料館内には賢治ゆかりの資料室があり、学生時代の写真をはじめ、彼が興味を持って勉強していたという地質や土壌学についてまとめた調査報告書、文芸同好会同人誌「アザリア」や卒業論文、恩師へあてた手紙などが数多く展示されている。建物の正面右手前には、盛岡高等農林学校以来の創立100周念記念の一環として、岩手大学農学部の同窓会が宮沢賢治のモニュメントを建立。大正15年はじめに、農学校付近の畑で撮ったといわれる写真をモチーフに、帽子をかぶってたたずむ賢治の全身のモニュメントである。横に広がるデザインは、賢治の精神が未来へとつながっているイメージを表現し、賢治の志を後世に残すものたちに受け継いでほしいという想いがこめられている。また、この施設が建っている一帯は岩手大学農学部の附属植物園でもあり、緑豊かな庭園の中心にある「北水の池」と色鮮やかな洋風建築の作り出す風景は訪れる人の心を癒し、休日になるとたくさんの家族連れの散策コースにもなっている。



岩手大学農学部附属

農業教育資料館
●住  所/岩手県盛岡市上田3丁目18-8
●交  通/盛岡駅から岩手大学までの路線バス
11番乗り場より(約20分おき、所用時間約10分)
●詳しいお問い合わせは/TEL.019-621-6103
ホームページ http://news7a1.atm.iwate-u.ac.jp/edu/

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